最高裁判所第三小法廷 昭和49年(あ)407号 決定 1974年7月05日
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人清川明の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の判例は事案を異にし本件に適切でなく、その余は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。なお、原判示の事実関係によれば、被告人の暴行と川中鶴三郎の死亡との間に因果関係を認めた原判決の判断は正当である。
よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(坂本吉勝 関根小郷 天野武一 江里口清雄 高辻正己)
弁護人清川明の上告趣意
第一点 <略>
第二点 原判決は証拠理由不備の違法があり、刑事訴訟法第四一一条第一号により破棄を免れないと思料する。
原判決は「被告人は川中が当時八一才の高齢であることを知悉しながら、川中に対し暴行を加えた結果、同人は左胸部に血胸を生じたが、医師としてはこれを放置すると同人の身体に重大な影響を与えるので、相当の注意を払つてステロイド剤を投与したこと、しかし、被害者には生体のままでは確知することができなかつた結核性の病巣があつたため、ステロイド剤の作用によつて右病巣が悪化し、ひいて循環障害を起こし、遂に心機能不全となつて死亡した。すなわち被告人の暴行により被害者の身体に加えた影響結果が、第三者による医療過誤等の行為によつて死亡の結果を生じさせたとの形跡はないのであり、従つて被告人の暴行と被害者の死亡との間に、他人の行為の介入はなかつたというべきである」と判示している。
併しながら被害者の治療に当つた浜崎医師が被害者に結核の既往症がないと即断したのは、被害者に対する問診で被害者が之を告げなかつたこと及びレントゲン写真でその痕跡がなかつたからである。併しレントゲン写真は血胸によりうつりが悪かつたというのであるから、断層撮影を試みるべきであつたし、もし之をなさない以上、血胸のため結核の病巣がレントゲン写真に映らなかつたということも当然予想されたのであるから、換言すれば被害者に結核の既往症がなかつたということが明白でない場合であるから、原審証人堀田覚証人の証言するように医学上の常識としてステロイド剤を使用するに当つては抗結核剤を併用すべきであつたのである。原判決は浜崎医師が細心の注意を以てステロイド剤を投与したとしているが、何を以て斯様に認定したのか理解し難い。又前述のように一〇月二七日以降のステロイド剤投与は不可であり、ストマイ、カナマイ等の抗炎症剤を投与すべきであつたのである。この点について浜崎医師は治療方法を間違つており間違つたステロイド剤の投与により被害者の結核を増悪させ遂に左胸膜炎、心膜炎、肺水腫を起し、心機不全に陥り死亡したのである。
この点につき原審において、弁護人は浜崎医師の医療過誤を立証すべく、押収にかかるカルテに基づく医療過誤の有無につき、鑑定の申請をなしたのであるが、原審は之を却下し、何ら首肯すべき事由を説示することなく、又証拠によらず浜崎医師に医療過誤はなかつたとしている。いやしくも医療過誤の有無については鑑定によつて明らかにすべきであつて、原審が浜崎医師に医療過誤がなかつたと認定したのは、証拠理由不備の違法があり、刑事訴訟法第四一一条第一号により到底破棄を免れない。
<参考・第二審判決理由・抄>
検察官の控訴趣意について。
所論は、本件公訴にかかる傷害致死の事実につき、被告人の暴行と被害者の死亡との間に因果関係を否定した原判決には、明らかに刑法上の因果関係の解釈を誤り、ひいて刑法二〇五条一項の法令の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。
よつて、検討するに、本件傷害致死の公訴事実は、
「被告人は、昭和四五年九月六日午前八時ころ、佐世保市田町一四七七番地川中方から東方約四〇〇メートルの田圃横において、川中鶴三郎(明治二二年八月一二日生、当時八一歳)を認めるや、矢庭に同人をその後方から捕えて数回振り回わした挙句これをその場に転倒させ、更には十数回に亘り同人を足蹴にする等の暴行を加え、よつて程なく同人を一時喪神させ、これを佐世保市梅田町二番五号所在同市立北病院に入院するの巳むなきに至らしめたが、遂いに翌昭和四六年一月三一日午後零時四五分ころ、同人を右病院内において、前記暴行による血胸(胸腔内血液貯留)に基づく心不全により死亡するに至らしめたものである。」
というのであり、これに対し原審は、
「被告人は、右日時、場所において、川中鶴三郎が右手には杭打ちに使用していた玄翁を持つたまま、左肘を張つて立ち向かつて来たので、同人をその場に突き倒し、倒れた同人の大腿部、腰部等の下半身を地下足袋履きの足で数回踏みつけ、よつて同人に対し、左血胸(胸腔内血液貯留)、左大腿打撲症の傷害を負わせた」との事実を認定し、被告人の右所為は刑法二〇四条の傷害罪に該当するが、被告人の右暴行と被害者の死亡との間に因果関係はないものと解したのである。その理由とするところは、被告人の暴行によつて被害者が受けた前示左血胸の治療のため医師によつてステロイド剤が使用された結果、折から被害者が罹患していた左肺胸膜、胸膜下組織、左肺上葉の乾酪化した結核性の病巣が滲出型に変化し、これが炎症を惹起して左胸膜炎となり、この炎症が心のう、心膜に及んで結核性の心膜炎に進行して循環障害を起こし、肺炎、肺水腫を起こし、循環障害を悪化させ、そのため被害者は心機能不全に陥つて死亡したのであるから、被告人の行為に起因して被害者の死亡という結果が発生したものであるということはできるけれども、刑法上の因果関係があるというためには、特定の行為によつて特定の結果が発生する虞のあることが、一般的に観察して、経験上、普通、予想しえられる関係にあることを要するものと解すべきであるところ、被害者の左肺胸膜、胸膜下組織、左肺上葉に乾酪化した結核性の病巣があつたことは、被告人はもとより、被害者の治療に当つた、医学上の専門的知識を有する医師らも予想することができなかつた具体的事情のもとにおいては、血胸の治療のためのステロイド剤の使用が循環障害を惹き起こし、そのため被害者が心機能不全に陥つて死亡するに至るであろうことは経験上、普通、予想しえられるところであるとは到底いえないから、被告人の暴行と被害者の死亡との間に相当因果関係はないものといわざるをえない、というのである。
ところで、原判決の中で引用された関係証拠(証拠物を含む)および当審における事実取調の結果によれば、原判示第二の事実、すなわち被告人が昭和四五年九月六日午前八時ころ多少の傾斜と凹凸のある草地上に当時八一歳の川中鶴三郎を突き倒し、倒れた同人の大腿部、腰部などを地下足袋ばきの足で数回踏みつけるなどの暴行を加え、その結果同人に対し左血胸(胸腔内血液貯留)、左大腿打撲症の傷害を負わせたこと、そして川中はその場から約一五〇メートル離れた自宅に帰つた後、バスで佐世保市内の吉居内科医院に赴き診察を受けたが程なくして意識不明となつたので、救急車で同市立北病院に移されたこと、同病院でレントゲン撮影、穿刺による検査によつて左胸部に多量の血胸のあることが判明し、同病院外科医の浜崎啓祐は同月七日以降川中に対し胸腔穿刺を行ない貯留液を抜き取ろうとしたが、残量が吸収されずに漸次漿液性に変化したので、同医師は同月二二日から副腎ホルモンたるステロイド剤を投与したところ、同年一一月一二日ころ川中の顔貌に副作用が現われたため、ステロイド剤の投与を中止したこと、しかし同月二四日ころから胸水の貯留が増加しはじめたので、同月二五日から同年一二月一二日までステロイド剤を投与し、同月四日ころ浸出液の貯留を止めたけれども、同月三〇日呼吸困難を招来し、血圧も降下し不整脈となり、やがて翌四六年一月三一日同病院において循環障害のため心機能不全に陥ち入つて死亡したことを肯認することができる。
次に前示の証拠によつて右の死因を探究すると、川中はかねて肺結核に罹患し、左肺胸膜および胸膜下組織、左肺上葉の乾酪化した結核性の病巣があつたが、レントゲン写真によつても前掲のように血胸があつたため、映像として明らかに映らず、川中に対する問診でも既往症ないし自覚症状がないというし、また痰を吐き出す力がなくてこれを検査する機会もなく、医師としては結核罹患を全く念頭におかずに(病院の内科医、外科医がコンファランスを開いて川中の病状を検討した際にも結核性の病巣のあることを発見できなかつた)血胸の貯留液を消去させることに専念したこと(血胸を放置すると胸膜が癒着したり、呼吸不全を起こすし、川中のような高令者の場合には余病を併発することが多かつた)、医師はステロイド剤を投与したが、これによつて結核性の病巣は乾酪型から滲出型に変化し、これが炎症を惹起して左胸膜炎となり、この炎症が心のう、心膜に及んで結核性の心膜炎に進行し、心臓と心のう内面とが広く癒着し、心臓の活動が阻害されて循環障害を起こし、他方、左右の肺の高度の水腫および左肺の肺炎もこれと相まつて循環障害をおこし、そのため心機能不全になつて死亡したこと、もつとも川中に結核性の病巣のあつたことは、死亡後の解剖によつて発見されたことを肯認できる。そして、以上の各認定事実については、原記録の各証拠および当審における事実取調の結果を精査検討しても、右が誤認であることを疑わしめるに足りる形跡を発見することができないのである。
以上の具体的事情に徴すると、被告人は、川中が当時八一歳の高令であることを知悉しながら、原判示第一の川中に対する傷害行為の二〇日後に引き続き再び川中に対し暴行を加えた結果、同人は左胸部に血胸を生じたが、医師としてはこれを放置すると同人の身体に重大な影響を与えるので、相当の注意を払つてステロイド剤を投与したこと、しかし被害者には生体のままでは確知することができなかつた結核性の病巣があつたためステロイド剤の作用によつて右病巣が悪化し、ひいて循環障害を起こし、遂に心機能不全となつて死亡したことが明らかである。すなわち、被告人の暴行により被害者の身体に加えた影響結果が、第三者による医療過誤などの行為によつて死亡の結果を生じさせたとの形跡はないのであり、従つて被告人の暴行と被害者の死亡との間に、他人の行為の介入はなかつたというべきである。
ところで、致死の原因たる暴行は、必らずしもそれが死亡の唯一の原因または直接の原因であることを要するものではなく、たまたま被害者の身体に特別な病変、体質ないし宿痾があつたためこれと相まつて死亡の結果を生じた場合であつても、右暴行による致死罪の成立を妨げないものと解すべきことは、検察官において引用する最高裁判所判例(第三小法廷昭和二二年一一月一四日判決、刑集一巻六頁。第二小法廷昭和二五年三月三一日判決、刑集四巻三号四六九頁。第一小法廷昭和三二年三月一四日決定、刑集一一巻三号一〇七五頁。第三小法廷昭和三六年一一月二一日決定、刑集一五巻一〇号一七三一頁。第一小法廷昭和四六年六月一七日判決、刑集二五巻四号五六七頁。)の示すところである。
従つて、たとい、原判決が因果関係の有無を判断する前提として認定した二個の事実、すなわち被告人の本件暴行が、被害者の前示結核性疾患という特殊の事情さえなかつたならば致死の結果を生じなかつたこと(もつとも暴行に基づき生じた血胸を放置すると、高令の被害者の生命に影響のあることは、前掲のとおりである。)さらに被告人が行為当時右疾患に関する特殊事情のあることを知らず、また、致死の結果を予見することができなかつたこと(しかし被告人としては、暴行の相手方に特定の病変のあることを知らなかつたとしても、同人が八一歳の高令者である以上は、外面上は健康体に見えても少くとも一旦受傷するとなんらかの余病を併発する虞のあることは普通、予見しえられる場合に該当するといえる)が真実としても被告人の暴行に基づく結果が、被害者の他の特別な病変とあいまつて致死の結果を生ぜしめたものと解される以上、当該暴行と致死の結果との間に因果関係を認めることができるといわなければならない。従つて、原判決が被告人の加えた暴行に起因して被害者の死亡という結果が発生したものであることを是認しながら、両者の間に刑法上の因果関係がないと解して、傷害致死罪の成立を否定したのは、刑法二〇五条一項に関する法令の解釈適用を誤つた違法があり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。そして、この事実と他の認定事実は併合罪の関係にあるので、原判決全部の破棄を免れない。
よつて、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書の規定に従い、更に自ら次のように判決する。